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青銅器(2)「上海博物館展」記念講演会「青銅器からみる中国古代史」その2

1 記念講演会について

 大阪歴史博物館で開催されている上海博物館展を記念した講演会の最終回、「青銅器からみる中国古代史」に参加しました。
 とにかくめちゃくちゃおもしろかったので、取り急ぎ内容をご紹介します・・・・・の2回目。


2 講演内容

(「さて、いよいよ私の得意分野。金文の解説に入ります」と松井氏。
 会場に展示されている小克鼎を題材に解説が始まった。)


(1) 「小克鼎」の解説

 小克鼎は、1890(光緒16)年、陝西省扶風県法門寺任村で出土した。

 青銅器の名称は、「作者+器形」で表わされる。
 これは、克という人物が造った鼎であるから、本来なら単に克鼎と呼ぶべきであるが、同じく上海博物館が所蔵している「克鼎」で、高さ93.1cm、重さ200kg以上のものがあるため、区別するために「大」克鼎、「小」克鼎と呼び分けている。

 さらに、小克鼎は少なくとも7基存在が確認されており、日本でも藤井有鄰館所蔵のものなど3基所蔵されている。

 当時、青銅器というのは大変貴重、高価なものなので、7基も造ったというのは、この克が当時大変な権力、財力をもった大政治家であることを示す。
 銘文の中で、克は「膳夫」であると書かれている。膳夫とは、単なる調理関係、賄い担当ではなく、周王の「側近」の重職と考えられる。

 小克鼎7基は、サイズが異なる。
 今回展示されているのは高さ56.5cmだが、日本で所蔵されているのはいずれも30cm前後である。

 また、同じ時期、同じ場所で出土したものに大克鼎、膳夫克盨(ぜんぷこくしゅ)、克鐘などがある。
 しかし、発見されたのが清朝末期の混乱期であったため、出土当時の詳しい状況等は記録に残されていない。

(注 「小」克鼎の中でもそんなにサイズに違いがあるなら「中」克鼎という呼び名にしてもいいくらいだな、と感じた。

 それと、「克が造った」といっても、もちろん克自身が鋳造するわけないから、命じて造らせたってことです)

※ 画像は、リンク切れになるまでは、大阪歴史博物館HP内のここから。(ただし、残念ながら小克鼎じゃなくて、よく似た史頌鼎の画像のみです)


(2) 金文の構成

 この小克鼎には、72文字の金文が鋳込まれている。
 金文は一般に、四つの要素で構成される。

四大要素の名称 各要素の内容 対応する金文
紀年 作製時期 これ王の廿又三年(にじゅうゆうさんねん)九月。
大事紀年(だいじきねん) その年の重要事項 王は宗周に在り。王 膳夫克に命じ、命を成周に舎(お)き、八「師−帀」(し)を遹征(いっせい)せしめたまうの年なり。
作器 作製した器の内容 克はわが皇祖釐季(りき)の宝宗彝(ほうそうい)を作る。
嘏辞(かじ) 寿ぎ(ことほぎ)の言葉 克よ、それ日に用いてわが辟(きみ)の魯休を「將+鼎」(おおい)にし、用て康らく、純祐眉寿、永命霊終、万年無彊を匃(もと)む。克よ、それ子々孫々までも、永く宝用せん。

 嘏辞の部分のおおよその意味は、「克よ、王の特別なプレゼントを使って安楽長寿を願え。子々孫々の代までも大事に使え」といったところ。
 こうしたことを子孫に命令できるというのは、宗法(嫡子・庶子の別、本家・分家の別)といった身分秩序が社会に定着してきていることを示す。


(3) 紀年の構成

 小克鼎の紀年は不完全なものであり、膳夫克盨の紀年表示を例にとる。

膳夫克盨 「隹十又八年 十又二月 初吉 庚寅」
  在位年 月相 干支日

(ア) 在位年・・・・・王の在位年(在位して18年目)
(イ) 月・・・・・・・・・12月
(ウ)  月相・・・・・・・初吉〜既生覇〜既望〜既死覇
(エ) 干支日・・・・・十干十二支  

 月相とは月の満ち欠けの様子を示す。
 月の様子を四分するとすれば、当然、「初吉〜既生覇〜既望〜既死覇」の4段階が新月、(満月に至る)半月、満月、(新月に至る)半月をそれぞれ示すことは容易に想像できる。   

 この月相については、両極端として四分説定点説の二つに分かれる。

 すなわち、太陰暦の1ヶ月がおよそ28日として、新月から半月に至る約1週間を「初吉」と呼ぶ・・・というのが、最も期間が長い四分説である。

 そして、逆に、新月となるその日一日だけを「初吉」と呼ぶ・・・というのが最も期間の短い定点説である。

 この両説の間には、2日間とか3日間といったバリエーションもあり、いまだ定説が固まっていないそうだ。
 結局のところ、月相とは何か、具体的にはわからないというのが結論らしい。


 干支日とは、いわゆる十干十二支の組み合わせによる表示方法である。

 銘文にいう「庚寅」は27番目である。

注 先生のレジュメでは60通りの組合わせすべての一覧表が掲載されていた。
 私(石野)から、もう少し補足してみたい。

 十干とは「甲(こう。きのえ)、乙(おつ。きのと)、丙(へい。ひのえ)、丁(てい。ひのと)、戊(ぼ。つちのえ)、己(き。つちのと)、庚(こう。かのえ)、辛(しん。かのと)、壬(じん。みずのえ)、癸(き。みずのと)」。

 十二支とは「子(し。ね。ねずみ)、丑(ちゅう。うし)、寅(いん。とら)、卯(ぼう。う。うさぎ)、辰(しん。たつ。りゅう)、巳(し。み。へび)、午(ご。うま)、未(び。ひつじ)、申(しん。さる)、酉(ゆう。とり)、戌(じゅつ。いぬ)、亥(がい。い。いのしし)」。

 十干十二支とは、それぞれのトップ、甲と子を組み合わせて甲子(きのえね)。以下、両グループ一つずつずらして組み合わせていくから、次は乙と丑で乙丑(きのとうし)。
 両グループの数が違うから、10個目の癸酉(みずのととり)まではよいが、十二支11番目の戌には、十干グループはトップに戻って甲と組み合わせ、甲戌(きのえいぬ)ということになる。 

 10と12だから、組み合わせのバリエーションは最小公倍数の60ということになる。
 60歳になると、還暦といって赤いちゃんちゃんこを着て祝ったりするのも、60年で暦が一回りして元へ戻った。無事、ひととおり経験したってな意味らしい。

 で、十干の方だが、「〜のえ」、「〜のと」という表現が繰り返されているのに気がつかれると思う。これは陰陽五行説に由来するようだ。
 つまり、「木」の陽(兄)に対応するのが「甲」、「木」の陰(弟)が「乙」。以下、「火」、「土」、「金」、「水」に対応する。
 要するに「甲」とは「木の兄」で「きのえ」、「丁」は「火の弟」で「ひのと」と呼ぶらしい。

 いわゆる暦年にもこの十干十二支の60通りが対応しているので、たとえば終戦の1945年は乙酉(きのととり)の年にあたるそうだ。
 歴史でも壬申(じんしん)の乱とか、戊戌(ぼじゅつ)の政変などという用語があるが、いずれもそういう年にあたるという意味なのであろう。
 阪神タイガースの本拠地甲子園球場も「甲子」の年である大正13年(1924)に完成したことからその名がついたのである。

 今では「干支(えと)」というと、十二支の方ばかりが話題にされるが、もともとは両者はセットもの・・・というより兄(え)、弟(と)であるから、本来は十干の方がメインと言っていいようである。

 

 


(4) 大事紀年の内容

 大事紀年には、地名や施設名が頻出する。

 主な地名としては、宗周成周の三つである。

 成周(新邑)はいわゆる洛陽(河南省洛陽市)、
 宗周(鎬京)はいわゆる長安(陝西省西安市)、もう少し古い地名では豊や鎬をさし、
 周は陝西省扶風県・岐山県 周原 をさす。周は、周王朝発祥の地。

 成周から見て宗周は西へ約500km、そして周は、宗周からさらに西へ約100kmの位置にあると考えられている。

 当時の移動に要した時間については、別の金文で成周から宗周への移動に46日かかったという記述が残っている。
 単純に割れば1日10kmということになるが、まさか46日ぶっ続けで移動したとは考えられないので、およそ1日に20km程度と考えられる。
 それにしても、片道46日とすれば、往復するのに3ヶ月要することになる。周まで入れれば、この当時の王は移動ばかりしていたのではないかと考えられる。

 周時代の都については、壮麗な宮殿や、立派な城壁などが遺跡として残っていない。これは、移動、移動を続けていたので、あまり1箇所で豪華な都城を築いても意味がないと考えていたのではないだろうか。

(注 移動を苦にしない、簡素な都、というとゲルやパオで暮らす遊牧民族を連想させる。)

 八「師−帀」を遹征(いっせい)せしむるとは、八連隊、八個師団を査察したという意味。
 また、別の金文には、「西の六師、東の八師」という表現があります。これは、西の宗周に駐屯している六個師団、東の成周に駐屯している八個師団という意味。
 さらに、この東の師団とは、周が滅ぼした殷(商)から投降した兵士たちからなる軍団と考えらる。

 (聴衆の)皆さんの中には従軍経験のおありの方もいらっしゃると思いますが、軍隊を移動させるのは大変です。兵站というか、実戦する兵士以上の後方支援部隊がいる。軍隊を動かすための費用や手間をかけるよりは・・・と王の方がせっせと動いたのではないかと考えられます。

(注 先生のレジュメでは康寧宮といった宮殿や、宗廟の名称の実例がいくつも挙げられていたが、ここでは省略する。)

 

 


(注 別にわざと引っぱっているわけではないのだが、十干のところなどでちょっと脇道にそれたので、ここでいったん切ります。
 メインの「小克鼎の年代を決定する!」は、次回へ。どうぞお楽しみに)