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北京旅遊記(9)天壇公園編
市内南部の天壇公園に向かう。
たけしは、すっかり飽きてしまって「公園で遊びたい」といっていたので、「天壇公園」と聞き、「えっ?公園行くの?」と喜んだ。
残念ながら、天壇公園には、ブランコやすべり台はない。
しかしながら、広くて(面積273万m2)緑が多いので、故宮とか美術館よりは楽しそうである。
| 南側の門から入り、まっすぐ北進していくコースをとる。
右写真は、文革期のもの。スローガンが掲げられているのは他所と一緒だが、毛沢東のサイン入りの「看板」になっていて、少しお金がかかっている感じ。
右下の写真は、現在のもの。看板撤去はもちろん、色なども塗り直されている。
それはいいのだが、朱色の部分と屋根の木組みの部分の間の横長のとこ(どこかわかります?)の模様が全然違う。 |
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昔のは、中央に向かって向かい合う形で龍が描かれているが、現在のはデザイン化された抽象的な模様のみ。「塗り直しはええけど、塗り変えはやめてくれ〜」
そう思うのは、私だけだろうか。
今回の旅行、買ったばかりのデジカメ(オリンパスC−700)と、かなりくたびれている一眼レフ(ミノルタα550)の2台を持っていった。
嫁さんは「デジカメは、よう使わん」ということだったので、一眼レフを預けていた。
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デジカメは画質を落してたくさん撮ることに決めていた。HPに載せ、画面上で見るだけ、と割り切ったのだ。
一生の思い出となるのは、やはり銀塩写真というか、一眼レフ。頼むぜ、嫁さん・・・と思っていたら、たけしが持っている。
「いやあ、カメラ持たしてたら大人しいからねえ。さっきのとこも、たいていたけしが持っててんけど。あかんかった?」(さっきのとこって、故宮のことか?)
たけしに「大丈夫か?」と聞くと「オラはカメラマンと呼ばれた男だぜい!」とか、わけのわからんことを言っている。
とりあえず、やつが退屈しないなら、甘受すべきか。落したり、ひったくられたりしないよう、ストラップを首にかけることを徹底させる。しかし、カメラが大きく見えるなあ。
圜丘に着く。
ここで李さんからのクイズを皆さんにも。圜丘東南部にある緑色のもの(右写真)は、いったい何のためにあるものでしょうか?(答えは、このページの最後に)
「この天壇は、皇帝サマの年中行事。1年に何回か、豊作とかを天にお祈りする場所です。お祈りするには、特別な言葉や動作・・・わかりやすく言うと、ダンスをしました」
ここは、皇帝のディスコであるらしい。 |
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圜丘は、地獄界、地上界、天上界の3層構造になっているとかで、石造りの円形の3層の壇。
丸くなっているのは、「天は円。地は方形」という古代思想に基づくものである。であるから、古代の統治権を象徴する玉器である玉jは、全体は四角い筒で中央が丸くくり貫かれているのだ。
また、北京市内の地壇公園は、全体が正方形で構成されている。(あと、日壇公園というのもあるのだが)
下の写真は、圜丘出口部分。左の文革期の写真に比べ、現在は、石門の所に赤い格子戸が設けられるなど、ずいぶんカラフルになっているのがわかる。
写真中央の丸屋根は、皇穹宇という建物で、祭祀の際の位牌置き場とのこと。
回音壁という所は、小さな声でも遠い所へ届くそうだが、人でごった返し、ささやくどころではない。
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祈年殿に向かう途中の門で、長男が「あっ、何か、かっこいい」というので、意味もなく門の鋲だの取っ手を撮る。
金ぴかなのが、趣味に合うのか。
と、「お父さん、これ色ちゃう(違う)で。あっ、ほかのんは動かへんけど、これはクルクル回る!ああ〜、これ木や。お父さん、お父さん!これ、にせもんやで!」
鬼の首でも取ったみたいな、長男。 |
右下の写真が、その「にせもん」と告発された鋲。(←そ〜っと、しといたれや)
よく見ると、隣の鋲も赤ペンキがついてて、雑な仕上がりやな〜と思いつつ、歩を進める。
(どうでもいい注)
上記で、門の模様が変わっていると書いた。
『北京』に「南大門」とあったので、南側の「南天門」と同じか、と思っって比較したのである。
デジカメの写真を整理していると、『北京』の門とほぼ同じ模様のものがあった。「塗り変え」というのは、私の誤解かもしれない。
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あ、クイズの答えは、天にささげる生け贄の動物を焼いた所だそうです。
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