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(No15) 講演「運慶と定慶」聴講記 その2(大阪市立美術館「興福寺国宝展」鑑賞記)

 この「興福寺国宝展」の開催期間は平成17年6月7日から7月10日。
 終了間際なのだが、関連イベントで7月9日(土)に、大阪大学文学部助教授 藤岡穣氏による「運慶と定慶 興福寺鎌倉復興をとげた天才と奇才」という講演会があったので、その聴講記も兼ねまして・・・・・の2回目。

 


いつものように録音しているわけでもなく、単におぼろげな記憶に頼って書いているので、藤岡先生の話と、図録などの解説等を適当にミックスして書いていく。

レジュメが4部に分かれていたので、まず、それを示し、その後に解説を加えたい。

 III. 仏師定慶について
1. 春日大社 散手面
2. 峯定寺釈迦如来と東大寺中性院弥勒菩薩

 一応、第3部なのだが、あまり印象がない。
 次の章で、いやでも定慶の作風については触れることになるので、ここまでとしておく。



 続いて、第4部へ。

 IV.南円堂四天王の位置づけ
1.東金堂か北円堂か?
2.無著・世親像と維摩居士
3.南円堂四天王の耳
4.願成就院毘沙門天との比較

 はっきり言って、この第4部がメインなのである。

 なぜか、と言うと藤岡氏が学界で注目されたのは、
(1) もともと南円堂に安置されていた四天王像は、現在仮金堂に安置されている四天王像である。
(2) 現在、南円堂に安置されている四天王像は、もともと東金堂に祀られていたものであるという学説を発表したからなのだ。

 まず、(1)だが、なぜ、「現在、南円堂に安置されている四天王像」が怪しいとにらまれてしまったのか?
 それには、京都国立博物館所蔵の興福寺曼荼羅図(大阪市立美術館「特別展のご案内」から「主な出品作品」へ。又は京都国立博物館収蔵品検索で「興福寺曼荼羅図」と入力)などが参考になる。
 この曼荼羅図、五重塔こそ建物が描いてあるが、それ以外は中がむき出しで、堂宇の中の仏像がこと細かく描かれているのである。
 これは、曼荼羅図を拝むことで、興福寺に参詣することに代える風習があったことにも由来するようだ。
 ともあれ、曼荼羅図は、そのおかげで、まさに仏像カタログのような資料価値を持つのである。
 また、一乗寺(兵庫)蔵の南円堂曼荼羅図のようなものもある。
 わかりやすい所でいくと、こうした曼荼羅図に描かれた、(当時の)南円堂の四天王は邪鬼を踏んづけているのだが、「現在の南円堂の四天王」は、踏んでいない。
 また、服装(袖や裳裾、足元の表現等)も異なる。

 現在、西金堂、中金堂、講堂、食堂などは再建されておらず、仮金堂や国宝館にそうした場所の仏像が安置されているのだが、仮金堂に安置されている四天王像が、これら南円堂の曼荼羅図に描かれた四天王と細部まで一致しており、これが本来の南円堂の四天王だと藤岡氏が提唱したそうなのだ。

 では、なぜ、そんな赤ちゃん取替え事件のような事態が生じたのか?
 興福寺は、前回紹介した治承兵火(1180年)のほかにも、何度も焼失・再建を繰り返した。その度に寺宝である仏像は、混乱の中で運び出されたのである。
 その中で、仏像の入れ替わりが生じた可能性があるというのだ。

 残る問題は、では、「現在の南円堂内の四天王像」は、本来どこに祀られるべきなのか?ということだ。
 これに対する藤岡氏の説が、上記の(2)なのである。

1.東金堂か北円堂か?

 藤岡説は、現在の南円堂内の四天王像は、本来東金堂に祀られるべきものだという説。
 これに対し、南円堂内の四天王像は、北円堂に祀られるべきだという説が近年有力とのことである。
 
 上記の藤岡説及び反対説をわかりやすくするため、もう少しシンプルにしてみる。
 前回の造仏担当者を思い出していただきたい。
 南円堂は、康慶が中心。東金堂は定慶が中心。そして、北円堂は運慶が中心。

 南円堂で正しいというなら、「現在の南円堂内の四天王像」の作者は康慶ということになるが、これは違うようだ。

 要するに、「東金堂か北円堂か?」という問いかけは、「現在の南円堂内の四天王像」の作者が定慶か、それとも運慶か?ということなのだ。

2.無著・世親像と維摩居士

 前回もご紹介したが、無著(むじゃく)・世親(せしん)像は、北円堂に祀られた運慶の代表作。
 そして、維摩居士(ゆいまこじ)像は、東金堂に祀られた定慶の代表作。
 これら代表作の作風を比較し、「現在の南円堂内の四天王像」の作風が、いずれにより近いか考察しようとするものである。

 藤岡先生が引用された画像が、どれであったか、確かな記憶はないので、別の画像を引用するかもしれないが、ご容赦いただきたい。

康慶 定慶 運慶
法祖六祖坐像
伝 玄ム(興福寺)
維摩居士坐像
(興福寺 東金堂)
重源上人坐像(東大寺 俊乗堂)
玄ム 維摩居士 重源上人
シワや、やせた首筋などで老齢や痩貌を表現しようとする点は新しいが、シワの表現も線を彫り込むにとどまり、やや平面的 浮き出た血管を表現するなど、やや立体的になってきたが、未だ中間的。 老齢を表現するのに、単に表面上のシワだけでなく、骨格や目元、鼻から口元への曲線などで、より立体的、写実的に表現している。

  ざっと言って、以上のような違いがあるということだった。
 もっとも、上記重源上人坐像は、運慶の作と「推定」されているもの(※注)なので、これを例にひくことは藤岡先生も気にしておられるようで、後で、重源上人の写真を世親像(右写真)などに入れ替え、これらも立体的表現をとっていると補足されていた。

※注 例えば、前掲の東大寺のサイトでは、重源上人像は快慶作としている。
世親

 これで、まず康慶・定慶・運慶の作風の概略をつかんだとしても、後は肝心の「現在の南円堂内の四天王」の作風がわからないと比定しようがない。

 どうも隔靴掻痒の思いがするのは、
(1) 「現在の南円堂内の四天王」を私は観たことがない。(南円堂は、6月7日から26日まで特別開扉していたそうなのだが、私は知らなかったので興福寺へ行ってない)
(2) 維摩居士像も観ていない。
 東京会場などでは出展されたようだが、大阪会場では出展されていない。

 まだ、維摩居士は図録に大きく載っているのだが、「現在の南円堂内の四天王」については、表情がわかるような大きな画像が見つけられなかった。

 四天王像も、興福寺のいろいろな場所に祀られている。とりあえず、増長天だけを取り出して並べてみた。
仮金堂 東金堂 南円堂 北円堂
仮金堂増長天 東金堂増長天 南円堂増長天 北円堂増長天
桧材 寄木造 桧材 一木造 桂材 寄木造 桧材 乾漆造
彫眼 瞳は黒漆 彫眼 瞳は黒漆
火焔付き法輪光背 火焔付き法輪光背    
鎌倉時代 平安時代 鎌倉時代 平安時代(791年に造立し、1285年に修理)

 南円堂の増長天が、一番ポーズにキレがあるというか、躍動的な感じを受ける。

 ただ、やはり顔の表情まではわからないので、なぜ藤岡氏は東金堂=定慶作と断じ、別の人は北円堂=運慶作と断じるのかが理解できない。

 図録解説や当日の講演によると、それぞれの説の根拠は次のとおり。
東金堂説 (1) 維摩居士像の顔や耳の形と共通性がある。→※注1
(2) 文殊菩薩像の胸甲に表された鬼面に共通性がある。→※注2
(3) 十二神将像に見られる作風に近似性がある。→※注3
北円堂説 (1) 京都国立博物館所蔵の興福寺曼荼羅図に近い。
(2) 本尊弥勒菩薩像や無著・世親像が同じ桂材で出来ている。

※注1 講演の中では、確か、「現在の南円堂内の四天王」の中でも特に持国天の顔が維摩居士と似ている、とおっしゃっていたと思う。

※注2 文殊菩薩の胸甲の鬼面とは、左下写真のそれだと思う。ただ、「現在の南円堂内の四天王」のうち、比較的写真が大きな多聞天について、胸のあたりの画像を並べてみたが、もう一つよくわからない。
 多聞天の胸甲部分はただの円形模様なので、胸甲を肩から吊っているベルトの留め金のような部分に鬼面があるのだろうか?
文殊菩薩 文殊 多聞天 多聞

 さて、右上写真の多聞天は画像が粗くて、結局胸甲の鬼面も何もよくわからないので、再度、現在の南円堂内の多聞天の画像を左下に並べてみる。

 それで、右下の、最近では、「康慶作であり、本来南円堂内に祀られるべき四天王像」として異論がないところの、「現在、仮金堂に安置されている多聞天」と比べてみる。

 一応、両方とも多宝塔を持っているので多聞天であるとは、わかるのだが、作風は明らかに違う。
 南円堂の多聞天は、多宝塔を高く捧げ持ち、それを見上げている視線が実に写実的な人間性を感じさせる。

 一方、仮金堂の多聞天は、火焔法輪を背負っているせいもあるのだが、「人間性」は感じられない。
 足先が揃っているので、何か単にぼ〜っと立っている感じを与える。両袖は大きく袂(たもと)の垂れた大袖で、裾も裳裾(もすそ)を長く垂らしてたなびかせる平安時代以降によく見られるようなスタイルで、体つきがやや太めなせいも相まって、どうも鈍重な印象を受ける。

 その点、南円堂の多聞天は、両手に鰭袖(はたそで)といわれる小さな袖の折り返しは見えるが、大袖は表されておらず、裳裾も垂れず、足元は脛の部分に脚絆(きゃはん)又は袴の裾を縛る軽快な形である。
 これは奈良時代にならった古様を示すもので、一方、装飾過多ともいえるそのスタイルは、宋代の影響を受けているとも考えられ、概ね1200年前後に造立されたものと考えられるとのことであった。
 足先は左足先を前に、そして、腰をややひねって、右足先は横へ出しており、ポーズに躍動感がある。
南円堂多聞天 仮金堂多聞天

多聞天(仮金堂)
↑多聞天(南円堂)
↓迷企羅大将(東金堂)
東金堂十二神将

 さて、次に上掲注3にいうところの、南円堂内の四天王と東金堂内の十二神将との類似性を見てみよう。
 ぱっと見てわかる共通点は、大袖ではなく鰭袖であること、腰紐というか、帯というか、ともかく腰の両側から左右に長く垂れている点である。

 しかしながら、東金堂の十二神将は、裳裾も垂れてたなびいている。折衷的だ。
 それと、顔の表情も、南円堂多聞天ほど、写実的、人間的ではない。

  藤岡先生も悩んでおられるようで、
(1) 「南円堂の四天王」運慶(=北円堂)説に対する反論としては、運慶の造仏は全般的にスッキリしたイメージなのだが、この南円堂の四天王は、服装が装飾過多で、ゴテゴテしており、運慶作とは思えない、というものがある。
(2) また、私自身、北円堂の無著・世親像というと沈鬱なイメージを持っており、南円堂の四天王(の躍動感?)とは合わないと思っていた。

 ところが、今回の展示会を契機に、あらためてじっくりと無著・世親像と向き合ってみた。
 すると、確かに、その表情などは内に秘めた深い精神性はあるけれども、造形表現などは立体的でエネルギッシュですらあり、決して、南円堂の四天王と相反したりするものではないということに気がついた・・・・・とのこと。

 つまり、だいぶ北円堂説に傾きつつあるのだけれど、長年の自説を捨てるには、まだためらいがある。

 そこで、藤岡先生は、別のアプローチを試みられたのだ。
 

3.南円堂四天王の耳 

 藤岡先生が注目したのは、細かい彫り癖である。
 以前、絵画の偽造で決め手になるのが耳の描き方だということを私も聞いたことがある。(ちょっと、出典は思い出せない)
 つまり、眼とか鼻、そうした目立つパーツについては、偽作者も原作に似せようと必死になる。
 ところが、そうした所に全力を傾注するあまり、耳なんかは、つい、気を抜いて自分の普段の描き癖のまま描いてしまいがちだそうだ。

 わかりやすくするため、極端な例をあげる。ゴッホは小さい絵であっても、耳をやたら詳しく描く癖があり、ゴーギャンは普段から耳の中を「6」って字みたいに簡略化する描き癖があったと仮定する。
 それで、ゴーギャンがゴッホの絵を、何とかポーズやらタッチやらを必死に真似て偽作を描いたとする。ところが、画面の端の小さな人物の耳が「6」になっていたりすると、偽作だし、しかも偽作者はゴーギャンとばれてしまったりもする、ということだ。

耳  そこで、藤岡先生はいろんな彫刻の耳ばかり集めたスライドを表示された。

 細かい点は覚えていないのだが、要するに、南円堂の四天王像の耳の特徴として
(1) 耳全体の横幅が広い。
(2) 下部の切れ込み的なところ(左図で黒矢印)が狭いの2点を挙げられていた。

 私は思わずみみ・・・じゃない、身を乗り出した。下部の切れ込みが狭い、ということは私が99年2月に「ココロの箸休め」で書いた「ウォークマン適合耳」ということではないですか!

 南円堂の四天王が、私と違ってウォークマン適合耳とわかったのはよいのだが、後の細かい比較結果は覚えきれなかった。
 結論としては、南円堂の四天王像の作者は、運慶が有力、という結果だったと思う。
 

4.願成就院毘沙門天との比較

 この項目については、よく覚えていない。

 たしか、南円堂四天王のどれかの腹部拡大図を示し、みぞおちか、へそ上の辺の甲冑のベルトが単純な水平ラインでぐるっと胴を巻いているのではなく、腹部の立体感に合わせ、自然な曲線を描いていることを示した。
 そして、そうした写実性がみられるのは誰の彫刻か、というのを考察していたように思う。

 その中で、たしか、同じ運慶の作品でも、浄楽寺の仏像より、願成就院の仏像の方が良くできているとおっしゃっていたと思う。
 阿弥陀も不動も毘沙門天も、なべて差があるのか、どれか特定しての話なのか、はわからない。
 とりあえず、レジュメに出ている願成就院毘沙門天は、ここここで観られる。
 また、浄楽寺の毘沙門天等については、ここここで観られるのでご参考までに。



エンディング

 最後に先生は、「うちの学校には非常に優秀な学生がおりまして・・・・・」と言いながら、パワーポイントによる画面にコンピュータグラフィックを投影された。

 8本の柱を真上から見たところ。
 北円堂、南円堂というのは「円」堂といいつつ、法隆寺夢殿のような「八角」円堂式建築。
 その8本の柱に囲まれた堂内の空間に、本尊である阿弥陀如来が、そして、無著・世親像が配置される。

 これだけでもすごいなあ、と感心したのだが、先生は「(南円堂の四天王は)八角形の台座が付いているから、堂内の四隅に、ちょうどうまい具合に収まるんですよねえ」とつぶやきつつクリックすると四天王も配置された。

 さらに!先生が「スリーディー(3D)」とつぶやくと、その画像がぐぐっと回転して、横から見たような画面に変った。

 おおっ〜。どよめく場内。

 さらに、さらに!「回りまぁ〜す」と先生がつぶやくと、その画面がぐりぐりと水平回転し、仏像のお背中を映し出したかと思うと360度回って、止まった。
「これ見てると、ほんと嬉しくなるんですよ。もう一度回しましょうかね」
 回転する画面を眺めつつ、私も場内の皆さんとともに思わず拍手をしていた。


 会場は超満員であった。午後1時半からの講演で、1時から整理券を配るという。私は1時少し前に行ったのだが、既に長蛇の列ができており、私が座れたのは広い会場の最後列であった。

(1) パワーポイント画面を投影するプロジェクターの角度が水平に近く、画面下の2行ほどが前列の人の頭でよく見えなかった。
(2) 講演室の照明は、全部点灯するか、消灯するかの2者択一であったらしい。
 最初は、やたら明るくて、画面が見えにくかった。
 そのうちに、会場の係員さんが、重要な写真を投影している時は照明を消し、説明中心の時は点けるという細かい心遣いをしていたので「さすが!」と感心していたのだが、しばらくすると邪魔臭くなったのか、真っ暗のままであった。
 それで、ほとんどメモがとれず、皆さんに正確な内容がお伝えできないのが心苦しい。

 藤岡先生のお話は、やや歯切れが悪く、正直言って、途中まで退屈した所もあったのだが、第4部のお話が聞けて、さらに、CGも楽しめて大満足であった。