[PR]今日のニュースは
「Infoseek モバイル」

 

   移動メニューにジャンプ


仏画(8)平成17年度美術史ゼミナール「日本の仏教絵画」第3回その2

1 はじめに

 平成17年度美術史ゼミナール「日本の仏教絵画」という講座の、備忘録程度の受
講録。で、第3回ゼミの受講録その2。今回のテーマは「日本の仏画の歴史」のうち、白鳳時代。


2 本日のテーマ

 今日のテーマは「日本の仏画の歴史」。

 下表が先生にいただいたレジュメの続き。

日本の仏画の歴史

 II 白鳳時代の美術の特徴

 7世紀半ば〜710年頃(奈良時代前期)※注1

(1) 彫刻を含む様式面の特徴

 人体把握の確立;写実への目覚め

  瑞々しく、若々しい人体表現、自由で動きのある表現(ぎこちなさは残る)

  丸みを帯びた表現(彫刻の童顔童形像:古拙を残しつつ、ふくよかな表現)※注2


(2) 大陸からの影響

 統一新羅を通して、隋〜初唐様式の流入

  ← 大陸・半島の統一による対外交流の促進(遣隋使・遣唐使の成果)

 前代に比べて様式が同時代的に反映する

(3) 素材・地域の広がり

 絵画は前代に引き続き寺院の壁画が中心(※注3)、

 他に古墳の壁画(※注4)

 九州から東北まで、白鳳寺院が広範囲に建立




3 講座内容の概要・補記

3−II 白鳳時代の美術の特徴

※注1 
 「白鳳時代とは飛鳥時代に続く美術史の時代区分で、平城京遷都の和銅3年(710)までの期間をいい、別に奈良時代前期とも称する」(『仏画』P144)

 
「天智朝にはいると、より現実的な人体表現への傾斜が顕著となる。これ以後、和銅3年(710)の平城遷都までの時期を白鳳時代と呼ぶ」(『日本美術史』P28)

 
I 先生によると、「白鳳時代」という区分を別個に設けるか否かについては、議論があるとのことである。しかしながら、先生は、白鳳時代には、やはり飛鳥時代とも天平時代とも違う特徴があると考えておられるそうだ
 また、よく「奈良時代前期」とも称されるが、これは奈良時代の前半部分というのではなく、奈良時代に先立つ時代という意味なので、紛らわしい表現だとおっしゃっていた。

 
「仏教公伝以後、平城遷都までの時期(538〜710)は、仏教文化の伝来と展開に象徴される大陸文化の急速な受容期にあたる。その時期区分についてはさまざまな見解があるが、ここでは、最近の彫刻史の研究成果に基づき、天智朝のはじめ(天智元年=662)を境として、その前半を飛鳥時代、後半を奈良時代 I (白鳳)と区分する。ただし、遺品の限られる建築・絵画・工芸の各分野については、時期を区切らずに論述する」(『日本美術史』P22)



II−(1)
 彫刻を含む様式面の特徴

※注2
 「丙寅(へいいん)年(666)銘の野中寺(やちゅうじ)銅造弥勒菩薩像は、飛鳥時代にはみられない三面頭飾をつけ、表情からアルカイックスマイルが消えている。やわらかみのあるモデリングや左右非相称の衣文処理に白鳳時代の特徴が明らか」(『日本美術史』P29)

※石野注 画像は「羽曳野市デジタルアーカイブ」や、HP「野中寺の結界石と弥勒像の謎」などで。

 「白鳳時代を代表するブロンズ像としては、興福寺国宝館の仏頭がある。〜球体を思わせる丸く張った顔つきには、同時代の童顔童形の小金銅仏との類似が認められ、単純化された面と線とで明快に構成された目鼻や豊かに肉づけされた頬が形づくる表情には、清純な若々しさが感じられる。その様式的な源流は〜隋時代の作例にたどることができる」(同P31)

※石野注 画像は「興福寺仏頭」など。

 飛鳥時代の代表的な仏画である玉虫厨子(捨身飼虎図)にみられる細身の棒のような身体表現(画像はHP「日本美術史ノート」など)に比べると、ずいぶん丸みを帯びていることがわかる。


II−(2) 大陸からの影響


II−(3) 素材・地域の広がり

※注3
 「白鳳時代の仏画の頂点に位置するのが法隆寺金堂の壁画であることは論をまたない。
〜大きな特色は、太さが均一で『屈鉄盤糸のごとし』と称される緩みのない鉄線で尊像を輪郭し、肉身の凹凸をあらわす濃い隈取りをつけ、薄い衣を通して肉身の透けて見えるさまに描かれている点にある。
 これらの特色は従来の中国にはなかった技法で、7世紀の初めころ、唐に入朝した西域于闐(さいいきうてん)国の尉遅乙僧(※石野注 本書には「うっちおっそう」と振っているが、「うっちいっそう」が一般的と思う)の伝えた画風であろうと考えられている」(『仏画』P145)

 
「7世紀後半にはいると、初唐の写実様式の影響が及んで、絵画における白鳳様式が誕生した。7世紀末の製作と考えられる法隆寺金堂壁画は、わが国初の本格的な絵画遺品であるとともに、新様式の完成を示す傑作である
〜西域伝来の隈取りを用いた陰影法によって立体感豊かに彩色され、均一で張りのある朱線によって明快に描き起こされた諸尊像は、引き締まった端正な表情と均斉のとれた理想的な体つきを示す。その様式的な源流は、初唐、高宗期(649〜683)の絵画に求めることができる」(『日本美術史』P34)

※石野注 画像は、東京大学デジタルミュージアム「法隆寺金堂壁画」など。


 「金堂壁画と類似した作風を示す橘夫人(たちばなぶにん)厨子須弥座腰板の絵画も、ほぼ同じ頃の製作であろう」(『日本美術史』P34)

 「法隆寺所蔵の橘夫人の念持仏と称される金銅阿弥陀三尊を収める厨子の仏龕(ぶつがん)部の四方の扉の表裏に描かれた菩薩と天、須弥座四方に描かれた供養者や極楽の蓮池で蓮華より化生する新生児の図もまた白鳳時代の作品で〜初唐美術の影響のもとに〜飛鳥時代の美術に見られた厳格さや素朴さが一層され、インド的な官能美が初々しい装いをこらして登場してきた」(『仏画』P146)

※石野注 画像はHP「法隆寺をたずねて(大宝蔵院)」などで。


※注4
 「700年前後頃の製作とみられる高松塚古墳壁画は〜高句麗や初唐の墳墓壁画の影響を強く受けながら、大まかな色面処理や平面化した群像構成などには日本化の方向が示されている」(『日本美術史』P35)

 「高松塚古墳の〜壁画に描かれた男女の侍者や四神の表現を見ると、初唐様式を学んだことは明らか」(『仏画』P146)

※石野注 画像は、HP「飛鳥 高松塚古墳」などで。

 


 それでは、皆さんごきげんよう♪